【オピニオン】防人の眼差し(5)森川公園

⑤宜野湾市・森川公園

第5回は、宜野湾市の森川公園をご紹介します。

前回の読谷から、また中南部へ話を戻して、昭和20年4月4日から時間を進めたいと思います。

米軍上陸地点付近では、賀谷興吉中佐率いる独立歩兵第12大隊(賀谷支隊)が米軍の進撃を遅らせたことは以前紹介しましたが、4日になると遂に米軍は本格的な南下を開始して、日本軍守備隊の前方部隊の陣地に攻撃を仕掛けました。軍司令部の報告では、米軍は重戦車5両を先頭に300~400の歩兵を随伴して海岸沿いに突破して来るような様子だったそうです。

本島西海岸側(宜野湾側)には、独立歩兵第13大隊(大隊長・原宗辰大佐)が布陣していました。森川公園は当時、「85高地」と呼ばれ、この独立歩兵第13大隊の主陣地があった場所です。ここは第13大隊の第3中隊を基幹とする守備隊がいました。

4日朝から前進陣地の神山陣地(第五中隊布陣)は猛攻撃を受け、撤退を余儀なくされます。

西側の海岸沿いでは、戦車と共に米軍が南下し、眞志喜付近まで進出してきました。85高地は側面から攻撃を受けますが、速射砲などの活躍により、米軍戦車3両を撃破して南下を阻止しました。

4日~6日にかけて激しい戦闘が85高地で繰り広げられますが、ついに第3中隊長鈴木秀輝中尉以下多数の死傷者を生じてほぼ全滅となり、85高地付近は米軍に占領されました。

現在、森川公園には「森川之塔」、付近の佐真下公園には「昇華之塔」と「石第十三大隊第三中隊之英霊」と刻まれた銅板があります。

森川公園の「森川之塔」

佐真下公園付近の「石13大隊第3中隊之英霊」銅板

当時激戦が繰り広げられた神山陣地と八五高地の一部は、現在米軍普天間飛行場の敷地内にあります。今、普天間基地の返還が進んでいますが、返還された際には、これら戦跡の調査や、まだ地下に眠っておられるかもしれない英霊のご遺骨の収容などが、丁寧に行われることを切に願います。

森川公園(宜野湾市真志喜1-24−1)

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