【オピニオン】防人の眼差し(2)浜川漁港

②北谷町・浜川漁港

第二回は、北谷町の浜川漁港です。この漁港がある場所は、米軍上陸地点の最南端に位置しており、桑江・桃原などの海岸周辺の日本軍の防御陣地の近くであり、宜野湾・浦添方面を一望することも出来ます。

昭和20年4月1日午前8時頃、上陸を完了した米軍は、4方向に分かれる計画を立てていました。

①上陸地点の最北端である読谷海岸に上陸した第6海兵師団は、読谷の飛行場を占領し、石川方面へ進軍。

②嘉手納の北部に上陸した第1海兵師団は、本島中部を東に横断してそのまま勝連半島方面へ進軍。

③嘉手納の南部に上陸した陸軍第7師団は、嘉手納の飛行場を占領し、東へ本島を横断して東海岸に進軍。

④上陸地点の最南端である北谷に上陸した陸軍第96師団は、海岸前面の高地を占領後、西海岸に沿って進軍。

上陸地点を誤る部隊があったなど多少のトラブルはあったものの、大まかには予定通り上陸を完了させ、それぞれの師団・部隊は計画通り進軍していくこととなります。

前田高地の稜線を眺める(ポールの上が浦添市役所)

約70年が経過した現在、宜野湾・浦添の西海岸側は埋め立てられ、ビルが建ち並び当時の情景とは一変していると思われます。

しかし、当時も今も変わらず聳え立ち、浜川漁港からも見ることが出来るのが前田・伊祖の高地です。稜線には、浦添ようどれや浦添市役所が見え、沖縄戦のキーストーンともいえる為朝岩(ニードルロック)が見えます。

当時上陸した米軍の兵士達はこの稜線を眺め、為朝岩を確認した者もいたのかもしれません。

そしてこの大軍が、自らの守るべき島沖縄に続々と上陸してくるのを、前田高地に陣取っていた大日本帝国陸軍第62師団の将兵もしっかり見ていたことでしょう。その覚悟は如何ばかりであったのか。そのことを、高地の稜線は記憶し続けています。

浜川漁港(北谷町字港4番地)

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